コーヒーの起源

 コーヒーの原種はエチオピアの高原に自生している。その効用に気づいたのは現地に暮す人たちで、はじめは実を砕いて煮出しして食べていた。のちに実の中心にある種だけを焙煎して砕いて煮出するようになり、芳ばしい香りと快い刺激を楽しむようになる。 その味わいは長年イスラムの礼拝所の中に秘されていたが、やがて一般人が飲むようになる。それがアラビア半島を北上し、トルコ伝播、やがてヨーロッパに及ぶ。

エチオピアで自生していたコーヒーノキ

 コーヒーノキは常緑低木で、毎年白い香りのある花が咲き、丸い実を付ける。 実は初め緑色、熟すにつれて赤色(品種によっては黄色のものもある)、紫色となる。
 コーヒーの実は、中心に硬い豆の様な二つ合わさって入っていて、まわりを柔らかい果肉が覆っている。果肉部分はやや甘みが有り、食べることができる。放置していると発酵する。つまり、そのまま柔らかい果肉の部分を食べたり、それを発酵させたものを飲むなどの利用が先行したと考えられる。実際コーヒーのアラビア語カーワ、カホウアは果実酒と同義である。しかし、われわれの興味は、今のような飲み方がどうやって発明・発見されたかにある。それに関連する有名な発見伝説が二説伝わっている。

 第一の説は「ヤギ飼いカルディの伝説」ヤギ飼いのカルディはある日放し飼いしているヤギが赤い実を食べて興奮して跳ね回り出したのを見た。そのことを修道院長に相談し、一緒にその実を食べてみた。すると全身に精気がみなぎり、スッキリした気分になった。それ以後。夜の勤行の時、赤い実を煎じて飲み、睡魔と戦ったという。

 第二の説は「シェーク・オマールの伝説」イスラム教徒のシェーク・オマールは、罪に問われてアラビアのモカからオウサブというところへ追放された。食べるものもなくひもじい思いでさまよっていると、小鳥が赤い実をついばんで陽気にさえずっているのを見た。その実を煮込んでみると、素晴らしい香りのスープができ、飲むと疲れを消し飛び、心身に活力が沸いた。のちに彼はこの赤い実を用いて多くの病人を救った。その評判は国王にも届き、おかげで罪を許され、モカに帰ることができた。モカに帰ってからもそこで多くの人を救い、聖者としてあがめられたという。

 第一の説では赤い実を直接食べ、のちに赤い実を煎じて飲んだとあり、第二の説では実を煮込んでスープにして食べたとある。いずれも実の芯の豆を炒る話が出てこず、中途半端である。「生豆と生火の出会い=焙煎」こそ、コーヒーの味と香りを引き出した人類史上の重要な発見であるはずなのに。
当然、後世の歴史家はこれについて研究したが、誰がいつ始めたというはっきりとした史料を発見することはできなかった。しかし、その発見の前も後も、焚火の上に深鍋を置いて煮出していたわけであるから、その傍にこぼれていた生豆が焦げて芳ばしい香りになった。それを煮出してみたという偶然は十分考えられる。19世紀末に「コーヒーノキとコーヒー」を書いたエデルスタン・ジャルダンは、「それは偶然だったのだ」と結論づけている。生活文化現象というものは概ねそういうものかもしれない。地球規模で、自分の名前を揚げて発見を秒単位で競っている科学研究や発明特許と同じではないのである。

世界一の消費国へ

植民地から独立したアメリカは、入植者たちにとって広大な未開拓の余地のある建国途上の国であった。マナーを気にしながら優雅に飲む茶より、ブリキのカップで無造作にのむコーヒーは緊張をほぐし、やる気を起こす。彼らに相応しい飲み物となった。せいぶの開拓地でも、南北戦争の戦場でおも飲まれた。まさに国民的な飲み物である。家庭でも職場でも浅入りの豆を使い、いつでも飲めるよう、パーコレーターでたくさんの量を作っておく。人が訪ねてくるとまずコーヒーを勧めるのが彼らのライフスタイルとなった。浅炒りなので色は薄く、苦味が弱く、酸味が勝るがコーヒー成分が薄いわけではない。「アメリカン」というのは和製英語であり、「お湯で割っている」というものも全くの誤解である。

 アメリカにおけるコーヒーの消費が飛躍的に伸びたのは一九世紀である。1790年に一人あたり年一ポンド(0.45kg)だったものが、1882年には一人あたり9ポンド(4.1kg)となった。現在の水準に近い量である。その背景にはカリブ海や中南米における栽培地の広がりもあった。

高度成長期以降

 1960年にコーヒー生豆の輸入が全面自由化され、コーヒー輸入量が初めて10,000tを上回った。高度経済成長の中で喫茶店をはじめ家庭外でコーヒーを楽しむ場所と機会が増える一方、国内生産を始めたインスタントコーヒーが一般家庭へ急速に浸透していった。

 1970年代に入ってより本格的なコーヒーを求めるニーズが高まり、サンフォンやペーパードリップで各国産のコーヒーを提供する専門店が各地に誕生した。

  1980年代入ると、セルフ式のコーヒー店チェーンが台頭し、気軽に入って、低価格でコーヒーを楽しむスタイルが都市部を中心に急速に一般化した。その一方で、それまでのコーヒー消費を牽引してきた喫茶店の業態転換や廃業が散見されるようなる。日本の喫茶店数は1982年の162,000軒をピークに減少に転じた。

近年はシアトル系カフェが流行っていて、またアメリカ発の「コーヒーのサードウェーブ(第3の波)」と呼ばれる動きも注目されている。一方コンビニエンスストアのカウンターで挽きたて淹れたてのコーヒーが安価で手軽に買えるようになるなど、コーヒーはますます多様化し、コーヒーの飲用は拡大を続けている。

参考資料「UCCコーヒー博物館」より