インスタントコーヒーと缶コーヒーの歴史

インスタントコーヒー

英語ではインスタント・ソリュブル(すぐ溶ける)コーヒーという。これを世界で初めて作ったのは実は日本人化学者であった。1899(明治32)年、加藤サトリ(シカゴの加藤コー ヒー商会)がコーヒー液を濃縮し、粉末にするという方法を発明した。その可溶性コーヒーは1901年バッファローで開催されたパンアメリカン博覧会で出品されて評判になり、同年ボードウィン陸軍大尉の北極探検にも使われた。特許は1903年に取得された(US735777A)が、量産には至らなかった。
ただし、その前の1890年に、デイビッド・ストラングがニュージーランドで特許を取得したのが先という説もある。

 その後、G・ワシントンというベルギー生まれの英国人が1906年に別の方法で可溶性コーヒーを発明した。製法は秘密にし、特許は取らなかった。商品名を三度変えたが、最後に「イ ンスタントコーヒー」と名づけた(それが今日一般名称として 使われている)。このインスタ ントコーヒーを表舞台に出した のは、第一次世界大戦であった。彼が製造する全量が軍隊での使用に回された。その後、さまざまの類似品が、アメリカ、カナダで作られたがあまりよい評判は得られなかった。 日本におけるインスタントコーヒーの製造は、1942年、海軍の要請で日本珈琲が行った。海軍ではこれを飲用としてよりも、チョコレートやブドウ糖と混合して菓子として利用したという。

 戦後インスタントコーヒーが一般に普及するのは、1960年に原料のコーヒー生豆の輸入が自由化され、国内での生産がスタートしたことが契機となる。 当時日本各地に登場したスーパーマーケットで販売され、人々は毎日家庭で手軽に飲むようになった。1967年フリーズドライ製法が開発され、需要はさらに拡大した。

缶コーヒー

 缶入りコーヒーは1969年、UCCが世界で初めて開発・生産・販売したものである。UCCの創業者·上島忠雄(1910ー1993)が、駅の売店で瓶入りコーヒー牛乳を飲んでいた。列車のベルが鳴り、飲み残しの瓶を店に返さなければならなかった。こんな無駄なことをせず、そのまま列車に持って入れて、いつでもどこでも手軽に飲めるコーヒーは作れないだろうか、そこでひらめいたのが、「瓶を缶にすればいいんだ!」という発想であった。

 しかし、製品化までの道のりは苦難の連続だった。当時普及しつつあった人工甘味料は使わず、砂糖とミルクを配合し、レ ギュラーコーヒーから抽出されたコーヒーの「風味」にこだわった。こうして開発した缶コーヒーを、自信を持って市場に送り出したが、商品は同業者から は「邪道だ」という声も出た。

  飛躍のきっかけとなったのは1970(昭和45)年に千里丘陵で開かれた日本万国博覧会(大阪万博)であった。会場を巨大な市場に見立てて、販売に力を入れたところ、会場の客やコンパニオンの間に「美味しい」という評判が広がり、またたく間に注文が殺到するようになった。缶コーヒーの売り上げはうなぎのぼりに伸びていった。それは、自動販売機の力も大きい。冷たいものも、熱いものも出せ 機の普及は、缶コーヒーだけでなく、清涼飲料水全体の売上を伸ばしていった。

 当初の缶には、当時のほかの缶飲料などと同様、缶蓋に穴をあける「穴あけ器具」がついていた。

参考資料「UCCコーヒー博物館」より